01 10月 スーザン・バージュ Susan Buirge
スーザン・バージュ 1940年ミネアポリス生まれで、フランスに帰化したスーザン・バージュは、1970年から2008年までフランスで暮らし、それ以降は日本に住んでいます。 彼女は子供の頃からダンスに手を染め、ミネソタ大学でモダンダンスに初めて触れ、大学の卒業免状を取得するとともに、初めてのソロ作品『トリロジー(Trilogy)』(1962年)を創作しました。1963年から1967年にかけてはアルウィン・ニコラスのダンスカンパニーに在籍。1970年にはフランスに移住し、「ダンス・シアター・エクスペリアンス」を設立。これは1975年には「スーザン・バージュ・プロジェクト」となり、その後1994年には「Ma To Ma」に、1999年には「スーザン・バージュ・カンパニー」に名を変えました。彼女は、エチオピア、ギリシャ、シリア、日本、台湾やインドに旅をし、異国の伝統を身をもって体験し、自演ソロ『大いなる亡命』(1990年)以降は、研究、振り付けと執筆活動に打ち込んでいます。 スーザン・バージュは抽象ミニマリストの流れに与したものの、あくまで官能的なダンスを守り抜いています。出会いと交流を求める気持ちは、小説家、美術家やビデオ作家とのコラボレーションによるパフォーマンスの際に遺憾なく発揮され、振付家の役割および観客との関係を問い直すものとなっています。こうしたアヴァンギャルドな経歴は『Parcelle de Ciel(仮題:空の一隅)』(1985年)で大きな転換期を迎えました。この輝きに満ち、謎めいた作品では、形式主義的な演技が、いかなる説明的、語り的な文脈からも切り離されて、感動的な力強さを生み出す役割を担っていました。 創成神話に関心を寄せることで、スーザン・バージュはその後、東洋と日本に眼を向けるようになりました。そして、日本が新たな受け入れの地となり、古来の伝統と現代アートの相補性に関する探求を継続する場となっています。1992年のヴィラ九条山滞在時に開始された「四季の移ろい(Le cycle des saisons)」は6年後の1998年に完結しました。2008年には、日本で暮らすことの選択に伴い、スーザン・バージュはコンテンポラリーダンスとアジアの儀式舞踊の間の交流を図る場として「プラトフォーム(Plateforme)」を設立しています。