ヴィラ九条山プログラム LE PROGRAMME VILLA KUJOYAMA

1992年に設立され、アンスティチュ・フランセ日本がそのパリ本部と連携して運営に当たるヴィラ九条山は、フランスの国外文化施設としてはもっとも名高いもののひとつで、ローマのヴィラ・メディチやマドリードのカーサ・デ・ヴェラスケスと肩を並べています。また、アジアでは唯一のフランスのアーティスト・イン・レジデンス施設となっています。

建築家・加藤邦男の設計で歴史豊かな日本の古都・京都は東山の丘の上に建てられたヴィラ九条山は、30年以上前から卓越したプログラムを展開してきました。設立以来、ヴィラ九条山は400名以上のレジデントを受け入れてきましたが、彼らは現代芸術創作や人文社会科学研究など幅広い領域に渡り、16の分野をカバーしています。

2011年のこと、レジデントの対外評価の向上により重点を置くことを目指し、ヴィラ九条山のレジデンス・プログラムに新たな息吹を与えるための検討が開始されました。今ではヴィラ九条山は芸術・文化の領域における日仏協力の直接の架け橋となり、芸術創作活動のあらゆる分野が集う場、芸術分野における新たなパートナーシップを発展させる場となるものと見込まれています。
ピエール・ベルジェ氏の支援のおかげで実現された建物の改修のあと、ヴィラ九条山は9月から新規レジデントを迎え入れました。

今回のリニューアルにより、ヴィラ九条山では、2つの新しいプログラムを打ち出します。
1つは、フランス人アーティストと日本人アーティストの共同プロジェクトの受け皿となる新プログラム「ヴィラ九条山デュオ」を開始します。2つ目は、ヴィラ九条山に今までなかった「工芸部門」の枠を設け、フランスの優れた工芸家と日本の伝統工芸との対話を促し、培っていきます。
この新機軸は、いずれもベタンクール・シューラー財団の厚意による3年間の特別支援のおかげで導入されるものです。
こうしたプロジェクトを達成するため、ヴィラ九条山の新しいプログラムは、芸術面、資金面及び文化面における独自のパートナーシップのシナジー(協働関係)を拠り所とし、研究活動を受け入れ、共同制作を推進し、プロジェクトや作品の普及を図ることになります。

再オープンにあたり、ヴィラ九条山が主体となって実施する独自のプロジェクトは、企画開発と運営体制の強化を図ることになります。日本の大学との連携や文化施設、アート機関との協力の強化、現代アートと伝統芸術の間の対話の拡大、さらに、資金提供者やプログラムに参画する民間企業との良好な関係の構築を目指しています。

ヴィラ九条山では、プログラムをさらに充実させるため、滞在期間だけでなく、今後、レジデンス開始前のリサーチ活動の準備期間とレジデンス終了後のプロジェクトの継続支援の新たなサポートを行っていきます。この継続的なサポート体制によってヴィラが培ってきた芸術文化と日仏交流の20年の歴史がアートシーンにどのような影響を及ぼし、どのような成果をもたらしたのかを発表し、広く紹介していくことができます。

今回のレジデント募集の工芸分野への門戸開放と日仏2人1組のレジデンス形式の導入はヴィラ九条山の新しいプログラムの要です。
また、レジデンス支援のための具体的方法として、レジデンス期間中(終了後含む)に制作されたレジデントの作品は、「ヴィラ九条山」のラベルを付与され、日本、フランスはもとより海外の展覧会、フェスティバル、出版、音楽イベントなどを通して発表されることになります。

ヴィラ九条山の来歴

関西地方にフランスの文化会館を設立するという考えは1926年に生まれました。この年、ポール・クローデルは駐日フランス大使としての任期最後の年を迎えていました。クローデルは当時の大阪商工会議所会頭・稲畑勝太郎を中心に親仏家の日本人グループを集めることに成功し、これら日本人が日仏学館の建設に必要な資金を集めることになりました。この計画は、日本の真っただ中において、その伝統文化の宝庫をフランスの芸術テーマに結びつけるというポール・クローデルの考えに基づくものでした。日本人によって建設されたこの新しい学館は財団法人日仏文化協会の監督下に置かれ、その運営にはフランス政府が当たることになりました。

関西日仏学館の落成式は1927年11月5日に、今ではヴィラ九条山が建つ場所において挙行されました。1936年には、学館は当時発展途上にあった京都大学の近くに移転されました。そして、50年近くに渡って東山の建物は放置されたままとなりました。

1986年のこと、フランス外務省は学館跡地におけるプロジェクトの推進を決定しました。外務省が提案したのは、京都という芸術と歴史の町の性格を踏まえ、ローマのヴィラ・メディチに倣って、アーティストや研究者のレジデンス受入れ施設を建設することでした。

このようにして、財団法人日仏文化協会は、1986年11月11日に、ポール・クローデルの当初の発案に基づき、稲畑勝太郎の孫息子の資金提供を得て、「日仏交流・創作会館」を建設することを決めました。この会館が現在のヴィラ九条山となり、1992年11月5日にその落成式が執り行われました。

写真:Michel Wasserman